“ 暮らし手記 ”essay

霜月の記

霜月の記

posted:2021.11.01

はじまりの朝

寝ぼけ眼の朝五時半

かすかな光を頼りに
窓を開ければ
すんとした空に広がりゆく淡い色
太陽が顔を出せば
途端に空は色濃くなり
やがて青に変わる時

朝焼けと書いて朝は焼けただなんて
一体誰が考えたのだろう
という言葉が脳裏を通りすぎながら

何億回も繰り返されてきたであろう
朝の姿になぜか胸を打たれる11月のはじまりです。


どんぐり

あんなにも濃厚に漂っていた
金木犀の香りはたち消えて
かわりに、地面を彩る落ち葉と共に
カラカラと何かが転がる音が響くようになりました。

コツン カラカラ

耳覚えがあるようなないような

その音の出所を辿れば
小さなどんぐりが木々からこぼれおち
アスファルトの上を円を描くように転がっていきます。

こぼれ落ちては自ら種となり
遠くへ出かけて行くからこそ
命は絶えることがなく

どんぐりは繁殖力がすごいんだよ
という言葉を思い出しながら

秋はすっかり深まって
そろりそろりと冬の香りが立ち上がり始めました。


いくつになっても

わたしごとですが
誕生日を迎えました。
いつも通りの日々が、いつも通りに始まったのに
なぜか今日という日に胸がそわそわするのは
お誕生日ケーキを待ちわびる子供のようです。

祖母がやってきて
ともにお祝いをしながら
歌を歌い、涙ぐむ姿に面食らいながら
34年前のあの日
わたしはこの世に生を受けて
その瞬間に立会い、見守ってきた人から見れば
それは不思議な気持ちになるものだよな
と、胸がぎゅっと掴まれるようでした。

きっと、それは誰しも同じことなのでしょう。

年を重ねれば、お誕生日はおめでとうじゃないよ
なんて言葉もたまに耳にしますが
わたしはきっとずっと、老いて行く過程でも
お誕生日が来るたびに
待ちわびた日がやってきたような
嬉しい気持ちになるのだと思います。


会いたい人に会いに行こう

11月が終わります。

年とともにどんどん早くなって行く時の速さは
きっといつか私もおばあちゃんになるのだろう
ということを知らしめます。

道端で郵便局で、たくさんのおばあちゃんに出会う度に
この方達も、私のような年齢の時があったのだな
と思うと、不思議な気持ちになります。

私も確実にいつかきっと、この体は小さくなる。

一体どんな姿形になっているのか。
それとも、すでに姿形を無しているのか

先のことはわからない。
だから、会えるうちに
会いたい人に会いに行きたい

そう思うのは、今年のせいでしょうか。
年のせいでしょうか。

もう会えない人との時をすごしてきた
たくさんの長く行きてきた先輩たち

わたしも少しは
過ぎて行く時のはやさと重みを
感じれるようになったのでしょうか。