“ 暮らし手記 ”essay

葉月の記

posted:2021.08.01

夏の果て

眠りにおちる直前
洗濯物を干していなかったことに気づき
寝ぼけ眼をこすり、重い腰を上げて外に出る

時は夜更け
じっとりとした土の気配と
懐かしさが匂い立つ

濡れた洋服たちを抱えれば
両腕はひやんと冷たく
顔をあげれば
黄金色の光が射すように揺れている

今夜月がキレイですね
と、誰かの言葉を思い出し
気づけば眠気もどこかへ
夏の果てへと流れていった。


ひぐらし

立秋を通り過ぎ
朝のつゆの中に、夜風の中に
小さな秋の気配を感じます。

先日
雨が降る中、山里へ向かいました。
小雨が宙を摩るように降り続け
うっすらと霧が立ち込め薄灰色の空の下で
ひぐらしがカナカナと鳴いていました。

清涼な空気は燻りながらも
秋の訪れを招き入れるかのように
肌にさしていたあの強い日差しもどこにも見えず
夏と秋が寄り添い、佇む。

季節は戯れながら寄り添って
あっという間に巡っていく。

その狭間の中で、重ねて来た時に目を凝らしてみれば

幼い頃の夏の終わり、林の中で
お気に入りの帽子をかぶり
ひぐらしの鳴き声に耳をすます
まだ十歳にも満たなかった小さな自分を
見たような気がしました。


七十六年

八月は、想いを馳せることが多い月です。

2021年は、戦後七十六年になりました。

できるだけ毎年
足を運ぶようにしていた、広島原爆資料館。
去年と今年は、行くことができませんでした。

終戦記念日が近づくにつれ
もっと戦争について知ることができたならば
と、書籍を読んでいました。

わたしは、道端に転がる人の亡骸を運ぶことも
飢えることも防空壕に逃げ込むことも
目の前の人に殺意をぶつけられることもありません。

あまりの凄惨さに息が詰まりそうになりながらも
朝になれば、いつもと同じように日々が始まり
何食べようかな、何を着ようかな
と、日々の余白に小さな楽しさを見出すことができます。

それが、今の私たちの日常
繰り返される日々の暮らしです。

そんな日々の中で
誰かと共に過ごす時間
自分自身を暴力的に奪い続けていくことが
当たり前だった時代が
七十六年前に確かにあったのです。


秋の目覚め

道をあるけば吹き出す汗に
日陰を求めて、神社の鳥居をくぐってみれば
雄々しく揺れるいちょうの木がありました。

黄色く色づき、敷地を染め上げていた月日が懐かしく
風に吹かれるままに木々が揺れれば影がおどります。

日差し増すほどに夏の影は色濃くなり
肌に差す熱がひりつくほどに、
木陰の涼しさが肌をなでる。

たらたらと流れる汗と
せわしないセミの鳴き声を聞きながら
ふと足元を見れば
小さな青いイチョウの葉が
うっすらと黄色く色づいて
はらりと舞う

秋の目覚めは、もうすぐそばに。